ハドソン河の奇跡
石井ト
昨日、13:00から、NHKBsで標記の映画をみた。
何しろ暑いから、家に籠り、テレビを見ることが多いのだ。
標記映画は、次の実際に起こった航空事故を映画化したもの。
USエアウェイズ1549便不時着水事故は、2009年1月15日午後3時30分頃(東部標準時)に、
ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ(現:アメリカン航空)
1549便が、ニューヨーク市マンハッタン区付近のハドソン川に不時着水した航空事故である。
離陸してから着水までわずか5分間での出来事であり、乗員・乗客全員が無事に生還したことから、
ニューヨーク州知事のデビッド・パターソンは、この件を「ハドソン川の奇跡」(Miracle on the Hudson) と呼び称賛した。
(詳しくは、
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標記の映画では、
機長:チェズレイ・サレンバーガー(Chesley "Sully" Sullenberger) 57歳 男性 元アメリカ空軍大尉役をトム・ハンクス、
副操縦士:ジェフリー・B・スカイルズ(Jeffrey B. Skiles)49歳 男性役をアーロン・エッカートが演じていた。
映画の内容は大きく2つの部分から成っている。
1つはバードストライクによる両エンジン停止事故時の墜落回避行動部分、もう1つは事故後の事故調査委員会の展開。
墜落回避行動部分は、機長、副操縦士、スタフ、救難船の活動、など緊迫した場面が描かれていた。
事故後の事故調査委員会の展開では、フライトシュミレーターを使った事故検証、回収したエンジンの破壊検証など、事実に基づいた検証が行われた。
この事故調査委員会の場面は、要するに法廷劇だ。
検察役の委員が、フライトシュミレーターを使った実験結果を使って、ハドソン河に水上不時着するのではなく、ラガーディア空港に引き返すべきだったとして、
機長側を追求した。
だが、機長側は、フライトシュミレーターを使った実験には、人為要素が加味されてないと反論し、若し、機長側の人為ミスを追求するなら、
フライトシュミレーターのパラメーターに人為要素を加えるべきだと主張した。
その人為要素を加味した結果のフライトシュミレーターでの実験は、見事にラガーディア空港に着く前に地上に墜落し、引き返し説を覆す結果となった。
昔、ペリー・メイソンなど法定劇のテレビ番組をよくみたが、あの流れの通り、法廷でのどんでん返しが演じられ、機長側は無罪となる。
計算されたシナリオ通りの展開で、目出度し目出度しだった。
余りの見事さに、出来過ぎの匂いを感じていたが、それは次の実話がシナリオのバイアスを明かしている。
劇中ではまるで容疑者のように扱われ、事故調査委員会から厳しい取り調べを受けたと描かれているが、
実際は、事件は瞬く間にアメリカ全土に広がり、英雄視されている。
ブッシュ大統領から直接連絡があったり、オバマ大統領から晩餐会に招待され、地元では歓迎式典が行われており、
事故調査委員会での取り調べは型通りのものでしかなかった。(『ハドソン川の奇跡』(映画)ウイキペディアより抜粋。
詳しくは、
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確かにバイアスしているが、うまくこなしていて、嫌味は感じない。映画だからね。・・・楽しい化もいいと思う。
でも、この法廷劇、彼らはあくまで事実をベースに議論し結論を出す点が私にとっては興味を惹いた。
感情的にならず、事実を追求する姿勢が面白い。・・・感情的飛躍はゼロ。このようなシナリオが書けるところも面白い。
わが国のは、その点、直ぐお涙頂戴になるが、そうはならなかった。涙で釣るのは卑怯だよね。それよりドライだがスマートな脚色(バイアス)がいい。
この事実を直視する姿勢こそ、彼らの世界の特徴だろう。我々も、事実第一で行かなければならないと思う。それがこの映画を見た収穫だ。
日本の法廷劇って、直ぐ泣くよな。お涙頂戴は法廷劇にとどまらない。・・・どうしてそう泣きたがるのか?私にはサッパリ分からない。
日本には、刑事もの、探偵もの、など凡そ人情物らしくない番組は数多い。だが、皆泣く。だから日本には刑事もの、探偵ものは存在しない、と思う。
この映画、男の映画だった。
少し愚痴るけど、最近の日本映画・テレビ、男がいない。
剣を持たしても様にならないし、ピストル持たせたらなお悪い。
シナリオが良くない。画一的だ。
男がいない分、女がいるかと思えばそうでもない。
だから、ドラマは見ない。
音楽番組も同じようなド演歌だ。
喉を絞るような発声で、惨めったらしい歌を歌う。
もっと自然な発声で、ハモって欲しいのに。
最近、豊かになったというが、文化的には退化しつつあるのではないのか。
それからもう一つ、日本人世界の退化現象が、研究開発分野だ。
今朝の毎日新聞のオピニオン欄が「戦争と科学」をとり上げ、ここに、大野敬太郎自民党衆議院議員の意見が載った。
標題は「一律に否定せずバランスを」だ。
内容は、防衛に関する研究の適否を論じたものだが、氏は、
- 最も重要なのは「バランス」だ。全国民が「もっと兵器研究を」というのはバランスを欠くし、
防衛に関する研究が全て禁止されるのも、
安全保障をとりまく環境の実態にそぐわない。
- イノベーションは何から生まれるかわからない。
人々が注目していない、何かに特化した研究に投資することで広がるイノベーションの可能性、サイエンス自体の裾野の拡大を否定すべきではない。
- 研究開発は常に、民生にも軍事にも使われ得る両義性を持つ。
- 複層的に事実を見るバランスが、先の大戦の反省なのではないか。
と結んでいる。
大衆文化レベルの低下といい、防衛に関する研究への取り組みといい、原因は事実の無視だと思う。
事実よりお涙、安全保障をとりまく環境の実態より沈黙、どちらも現実逃避している。
先の大戦を起こしたのも、現実逃避が原因。事実をしっかり踏まえないと、おいて行かれるだろう。世界に。
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